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				SUEP.(末光弘和+末光陽子)による「地中の棲処」の内覧会に行きました(→flickr).
				
 福岡市の急勾配の斜面地に建つ住宅で,3つの箱が,半分地中に埋まるように,
 あるいは地面から切り出されたように連なり,3つの箱はそれぞれ,
 家族室・子供室・夫婦室を内包しています.
 
 箱の外皮は,すべてこの土地の土と同じテクスチャで仕上げられており,
 箱の上,つまり屋根にあたる部分は,あたかも造成により意図せず出現した,
 半分天然で半分人工の舞台のようです.
 
 箱の内部は,一転して白く抽象的な仕上げですが,斜面に向かって開いた空間で,
 素晴らしい景色を眺めながらの暮らしを,容易に想像することができます.
 
 しかし,3つの箱から眺める景色は,それぞれ全く違ったものになっています.
 
 これは,箱が埋められている深さがすべて異なっていることに加えて,
 置かれる角度もそれぞれ違うことによるのですが,別の箱に移動した際に,
 あまりに違った景色に出会うので,あたかも別の場所に来たような感覚さえ抱きます.
 
 箱を繋ぐ動線は,箱の外の地中に埋められているのですが,
 その移動に際しては,体の方向を何回か転換させる必要があり,
 したがって,オリエンテーションを喪失することも,この感覚を助長しています.
 
 要するに3つの箱は,バラバラに切り分けられた,個別性の強い空間です.
 しかしそれらの空間は,地中に埋められた洞窟的空間であるという点で,
 紛れもない一体性も保っています.
 特にそのことが顕著に現れるのが,内部の空気の質で,
 建具なしに繋がれたそれぞれの箱の気温は,箱が埋められた深さに応じて
 連続的に変化します.
 
 つまりこの住宅では,視覚的にはバラバラな空間が,肌からの感覚を通じて,
 再度統合されるという体験が起こります.
 これは,家族の構成員に応じて切り分けられることによって失われた,
 住宅としての一体性を,自身の身体と対峙することによって回復する,
 逆説的な体験ともいえるものです.
 
 しかし,この逆説性は,決して住宅や家族に対するアイロニカルな態度から
 来るものではないように思えます.
 むしろ,住宅という日常的で恒久的な生活の場に,両義的な体験を
 織り込むことによって,建築の一意性を回避する意図を感じさせるものでした.
 
 ここで振り返ってみれば,こうした両義性は,この住宅の立ち現れかたにも徹底されています.
 そしてこの両義性は,ここで住まう経験に,ある種の自由さを与えていると思えるのです.
 
				
 付記
 この内覧会はDESIDNING2010の一環で,あわせてSUEP.の作品模型の展示も行われていました.
 展示もとても趣向を凝らしたもので,作品模型は,それぞれの居るべき場所を,家の中に見つけています.
 例えば模型台のGLは,「地中の棲処」の半分埋められた構成を最大限に活かして,
 実際のGLと揃えられている,といった具合.
 一番チャーミングだったのが,「カラマツ林の別荘」で,屋根全面がトップライトとして計画された
 この別荘の模型は,お風呂にちょこんと置かれていて,シャワーヘッドが太陽に見立てられていました.
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