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				国際会議に出席するため,スペインのビルバオを訪れました.
				
 ビルバオは,20世紀初頭には鉄鋼業を始めとした工業都市として栄えましたが,
 それがいったん廃れ,その様子は,くすんだ都市(grey city)と揶揄されました.
 しかし現在では,サービス業と観光の都市として再生を果たし,そのシンボルとして
 著名なのが,フランク・O・ゲーリーによる「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」です.
 
 そしてビルバオ・グッゲンハイムは,遠景と近景が混合し,インテリアとエクステリアが侵食し合い,
 都市スケールからベンチの設えられたニッチまでを同じ自由なラインで描く,
 紛れもなく名作と呼べる建物でした.
 
 建物全体は,魚をモチーフにした独特の姿ですが,道路を横断し,橋梁に横断される,
 都市を縫うような構成で,それが自由な形態の存在証明になっています.
 つまりこの建物は,都市を飲み込み,そして都市に飲み込まれることによって,
 一個人のアーティスティックな表現を超えて,都市に不可欠な存在となり得ています.
 
 しかし一方で,「都市を縫う」ための重要なエレメントである,モチーフとしての魚の
 尻尾にあたる部分は,何の機能もあてがわれず,しかも仕上げの砂岩パネルは
 一部にしか貼られず,その形態が張りぼてであることが,あえて露呈されています。
 
 つまり形態の存在証明が,ビルバオ・グッゲンハイムでは,空虚なものとして扱われています.
 このことは,形態それ自体が持つ力に関する宣言とも,逆に形態に対する
 アイロニカルな態度とも捉えられます.
 僕自身は,前者ではないかと感じるのですが,これはこの建物が持つ,
 人間肯定的なポジティブさに因るもので,それはまさに,都市も人間の身体も,
 同じように包み込んでしまう自由なラインがつくり出していた感覚なのです.
 
				
 付記
 というような感想をtwitterで書いたところ,日埜直彦さんから
 「でもゲーリーってもともと骨組み露出系の人だよね」と適格なコメントをいただきました.
 僕自身,ゲーリーの建物は,ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2008,
 パリのアメリカン・センター,シカゴのジェイ・プリツカー・パビリオンに続いて,
 4つ目の経験だったのですが,しかしこういう感想を持ったのは,
 この建物が始めただったことも確かです.
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